部員募集のご案内

新入学生ならびに在校生の皆様へ

鹿児島大学空手道部では、基本的に練習は(月)(木)の週2回、夕方6時から8時まで空手道部道場にて行います。場所は教育学部、第2体育館奥の新サークル棟208号です。

練習は組手の打ち込みや、筋力トレーニングなども行います。組手とは、二人一組になり突きや蹴りなどの技を出しあうことをいいます。
その他、形の練習もします。空手道でいう「かた」とは、一人で各種の技を決まった順序で演武する練習形式のことです。
空手ときくと、きつそう、初心者は無理そうというイメージがあるかもしれませんが、今まで経験がなく初めて空手を経験したというOBの方々もたくさんいます。
皆仲がよく楽しい部を目指しています。大学生活を空手道を通じて是非エンジョイしてください。きっと”今”しか出来ない貴重な経験になります。
また、武道では、礼節を重んじます。空手道においてもそれは同じです。社会人になってからもそれはきっと役に立つことでしょう。
男性女性問わず、経験者、未経験者も大歓迎です。マネージャーも随時募集中です。
一見は百聞に如かず。少しでも興味をもたれた方は是非一度、道場へお立ち寄りください。見学だけでも大丈夫です。
あなたの入部を部員一同心待ちにしています。

小林流しょうりんりゅう空手道について

小林流の「形」

鹿児島大学空手道部では沖縄空手道三大流派(剛柔流ゴウジュウリュウ上地流ウエチリュウ、小林流) のひとつ小林流を学んでいます。
空手は中国で発生し、約1400年前に沖縄に入ってきたといわれています。
沖縄ではこの古墳時代から伝わっている空手を「手」(武術)と呼んでいました。
沖縄の尚真王は中央集権体制を確立するために1477年から1526年まで武器の携帯を禁止し、続いて島津藩による沖縄支配で1879年まで 一切の武器を取り上げられました。このいわゆる禁武政策で沖縄の人たちは自分の身を守るために拳で敵を倒す護身の武術として「手」を取り入れて いきました。
その後1800年代になると中国の拳法家の多くが沖縄に来て首里の武士は進んで中国拳法を修練しました。松村宗棍まつむらそうこんもその一人でした。
後に、松村宗棍に空手を習った糸洲安恒いとすあんこう(1831~1915年)は日清・日露戦争戦役を契機に青少年の体力強化を目的に学校教育に空手を取り入れるために努力しました
首里手(空手)の中からナイハンチ初段、パッサイ(大・小)、チントウ、五十四歩の7つの型を教授しています。
さらにクーサンクー、平安の初段から五段までの型とナイハンチ二段・三段の型も新たに創案していました。
糸洲安恒はこの首里手を「少林流唐手」と名称しました。これが小林流の形の原点となっていきます。 この糸洲安恒に13年間空手を習った知花朝信ちばなちょうしん先生は少林流唐手を国民的古来武術として位置づけるために、少林流唐手に首里手の中 から沖縄の古来的空手を取り入れ、技を手直しし、1933年(昭和8年)に少林流唐手から小林流を開脈したのです。
我が鹿児島大学空手道部師範である米澤先生は昭和22年から少林流空手道を修練していましたが、昭和33年沖縄の仲里周五郎先生(小林流空手道範士10段) が来鹿されたとき、小林流空手道に魅力を感じ、少林流空手道より小林流空手道に変えることを決心しました。
そして、昭和34年4月2日の鹿児島大学空手道部春季合宿より鹿児島大学空手道部を少林流空手道より小林流空手道に変えられたのです。
鹿児島大学空手道部は、発足当時の昭和25年から現在に至るまで、米澤先生の指導の下、歴代の部員たちによって日々成長しております。
空手道は、基本的な礼儀を学び、体力・精神的にも修練され、また大学生活のよりよい人間関係を築いていける魅力ある武道です。 (創立50周年記念誌より一部抜粋)

鹿児島大学空手道部

■小林流開祖知花朝信先生による「努力」「武徳」「人道」の教え■

歴代の部員たちはこの教えの元で練習に励んできました。
(現在は米澤先生のご自宅にて保管)

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